2017年7月11日の『この差って何ですか?』は2時間SPです。放送予定内容は、
- ひふみん節炸裂!爆笑将棋の差
- 超必見!蚊にさされやすい人の差
- レンジで作る名店の味!卵焼きサンド&浜松餃子のコツ
- 実験!突然の雨…走るのと歩くのどっちが濡れない
です。
出演者はMCに加藤浩次さん、川田裕美さん、パネラーに土田晃之さん、上地雄輔さん、厚切りジェイソンさん、鈴木亮平さん、深田恭子さん、松本明子さんです。
放送内容は随時更新します。
将棋の差
今は空前の将棋ブーム!ひふみんこと加藤一二三さんが解説してくれます。
将棋の王将と玉将の差
他の駒は全く同じ漢字を使っていますが、王将だけ「王」「玉」と異なります。その違いは上位者が「王」を持って下位者が「玉」を持つんです。
日本の将棋のルーツは平安時代からで、当時は王が無く玉が2つでした。「金」「銀」は宝石で、「玉」も宝石を意味するんです。
「玉」は水晶のことを意味していて、水晶は神秘の力があると信じられていたので一番強い駒を「玉将」としたんです。
「王」を使うようになったのは、一説には豊臣秀吉が関係していると言われています。秀吉は宝石よりも戦が大切なので、権力のトップを意味する「王」を重要視したそうです。
「歩」の裏側と「他の駒」の裏の差
多くの駒の裏側が漢字なのに対して、「歩」の裏だけ「と」のような文字が書かれています。これは平仮名ではなく金の崩し文字だと言われています。
「歩」の裏だけ崩し文字にしたのは、18枚もある駒にすべて「金」の漢字を書くのが大変だったからという説があります。
外国人が分からない日本の差
枝豆やだだちゃ豆の差
品種の差なんです。大きな違いが3つあります。
どちらも大豆になる前の未成熟の豆ですが、普段よく食べる枝豆は「青豆」、だだちゃ豆は「茶豆」に分類されます。茹でた後にさやの中を見ると、枝豆は青い(緑色)のに対してだだちゃ豆はやや茶色になります。
2つ目は収穫時期。枝豆は6月から9月に収穫されますが、だだちゃ豆は8月から9月上旬だけなんです。
だだちゃ豆は茶豆の中でも山形県鶴岡市で栽培しているものだけを言い、だだちゃは鶴岡市周辺の方言でお父さんという意味があります。「お父さん豆」ってことですね。
だだちゃ豆と呼ばれるようになったのは、江戸時代に庄内藩のお殿様が「こんなおいしい豆を作ったのはどこのだだちゃだ?」と聞いたことが由来だと言われています。
3つ目の差は味。だだちゃ豆は寒暖差があるので甘みが強いそうです。
白みそと赤みその差
使っている原料は同じ大豆と米麹。色に差が生まれるのは作る工程です。
大豆を圧力釜で20分加熱したら、米麹と塩を入れてかき混ぜます。ここまでは白みそと赤みそで同じです。この後の熟成期間の差が色の差で、白みそは1週間・赤みそは4か月程度なんです。
これはメイラード反応という化学反応によるもので、玉ねぎを炒めた時に茶色くなったりお肉を焼くと色が変わるのと同じでアミノ酸と糖分が反応しているんです。
みその場合も大豆のアミノ酸と米麹の糖分が反応して、熟成中にアミノ酸が増えて味が濃厚になっていきます。
電話でのもしもしとハローの差
英語圏ではハローその他の国でもハローに近い挨拶をしますが、日本人はもしもしと言います。それは日本で電話が開通した明治23年には、電話交換所で電話交換手を介して繋がっていたんです。
当時は電話の数が少なくて、高級官僚や大商人のような身分の高い人しか電話が持てませんでした。そのため電話交換手は自分より身分の高い人を呼び出す時に相手に失礼がないように「申し申し」と申し上げますという意味の申しを繰り返して使っていました。
その後簡略化されて「もしもし」になったんです。一般に広まってもこの言葉は変わらなかったんですね。
武士と侍の差
元々は刀などを持って武装していた人を「武士」、武士の中でも誰かに使えている人を「侍」と言っていました。
先に生まれた言葉は武士。平安時代に京都から離れた所に住む豪族たちが土地を巡って争いをするようになりました。その際、豪族たちは自分の家来を武装させて戦い、身を守りました。「武器を持った男」という意味で武士と呼びます。
その後、戦っていた武士が都に入って貴族たちに使えるようになりました。昔は仕えることを「侍う(さぶらう)」と言っていて、仕える人のことを「侍」と言うようになりました。
なぜ現在は武士と侍を同じ意味で捉えているんでしょうか?鎌倉時代になって源頼朝のような武士が権力を握るようになって武家社会になりました。そうすると貴族に仕える侍と武士に使える侍が出てきました。
江戸時代になると武士のほとんどが誰かに仕えるようになったので、同じ意味になったんですね。